自分はゲームを楽しむ人である。
だからこそ思うことがある。
ゲームの功、それは
ゲームの罪、それは
ここにあるのだと思っている。
まあ、明るいオチにするために、罪の部分を先に書く。
相手に暴力を振るい、損傷させることが出来なければ刑法208条「暴行罪」
相手に暴力を振るい、損傷させることが出来れば刑法204条「障害罪」
なわけだけど、ここで問われているのはあくまで「肉体」だけなのである。
精神や人格に対しての攻撃は実は一切法には問えない…はず。
価値や金銭に関しては窃盗罪が当てはまるが、金銭で図れない価値に関しては
好き放題暴力が加えられ…いや、これは違う話か。
ともかくゲームを暴力に代わりというか、ゲームを媒体にすれば
「あらゆる人間を攻撃対象にできる」
というのが一番悪いところ。
銃弾飛び交う国の4倍人が死んでいる、と言った声をどこかで聞いたが
人(の肉体以外全て)に銃弾を雨嵐と叩き込めばそりゃあ人間死にますよ。
この意見は確実に池っち店長にしばきとばされる意見なのですが
TCGが流行ってると最悪な側面には
「対戦相手を法を犯さず好き放題攻撃できる」
と言う点があるのではないかと思っている…
だから一人回しもワンターンキルも人気がある、のではないかと思う。
ここの部分の功もあるが、それは後半に書き記す。
さて、『法に問われることなく』の部分と『攻撃対象に出来る』の部分は書いたが
ゲームにおいては、『法に問われることなく』の部分と『万物を』の部分が対応していたりする。
音楽もそう。芸術もそう。場合によっては童話も、文学も。
ありとあらゆるテーマがゲームにはある。
それらの全てが攻撃対象なら。倒せば自分の勝ちなら。
いつでもどこでも戦争が出来る。まさに「心は戦争を求める」人間なのだ。
馬鹿だね。竹槍でしか戦争できない奴に機械なんて操縦できると思ってるのかね。
(涅マユリ風に)
これは確実に罪の側面。長くなるので次に功の要素を書く。