個人的にはこれも思っていて。
というのも基本的に「好き」と言う感情が主に赤マナから来ていると思っているのだ。
赤マナがどういう属性かはコチラを参照。
人の能力で考えると司るものが「素早さ、幸運度、そして魅力」。
この「魅力」が赤マナの最たるところだと思っているのだ。
そして予告でも言った『女性の「好き」は赤マナで男性の「好き」は緑マナって所ない?』というのは
赤マナの好き:対象は愛でるためにある
緑マナの好き:対象は自分のものにするためにある
と、かなり大きな違いをつけているはずなんだ。
赤マナの「好き」:対象は愛でるためにある
このキャラが好き。この俳優が好き。この○○が好き。
これが全てのエネルギーになっているところはある。
この感情で「好き」を持っている物は対象の魅力を理解できているのだ。
だがその「好き」は作品内のキャラクター同士の関係性まで全部含めて「好き」と言う点もある。
つまりこれが「尊い」と言って倒れる感情なのである。
で、緑マナの「好き」というのが
緑マナの「好き」:対象は入手するためにある
というものだと思っている。この感情は根深い。
まず小学生で「そんなに好きなら結婚しろ」という文言があり
年齢が上がれば好きな女性を「ゲットする」ものと認識し
好きなテレビ番組を見られなくする権利を行使する野球やスポーツ、お父さんは悪になる。
そしてテレビに登場する好きな人を誰かが自分のものにした時(恋愛事情)、それは最大の罪になる。
つまりこの感情で「好き」を数える人にとっては
自分以外の誰かが、自分の好きなものを一生手に入れられなくする権利を行使すること
が最大の罪になる。だから芸能人の恋愛が罪として問いただされる。
とりあえずこれだけ違うのだ。
…尻切れ蜻蛉だけど今日はこの辺で。なんだか疲れてきた。