以前、「∀、やめないか?」と言ったことがある。
だがそれは現時点で複数の視点を持っている人の話。
つまり100点満点のテストで言えばこういうことだ。
∀=100点
∃=1~99点
¬∀=0点
∃の範囲が広すぎるんだが、これに気がつけない者も多いと言うこと。
理由は一つ。
「その当人が自分という1だけでしか判断していない」
からだ。
分母が1なら、少数がなければ分子は0/1か1/1しかない。
つまり100か0かの2択にしかならないのだ。
そして0と1だけとなると、完全に電子信号…最小単位の機械とほぼ同義になる。
本当に「思考全否定」で生きることになる。
最もその生き方のしている人間のほうが管理しやすいから
思考を破壊して育てる人もいるのだろうが…
そういう「思考全否定」型で生きると、選択肢が「自分という1」だけなので
「自分が0=世界全てが0」に平気で変わる。
まあ、自分がまずいと思った食べ物は世界中全ての人間がまずいと思っているので
この世界から存在を消滅させろ、といった風に。…なんか最近の器のないラスボスってこんなだな。
「この世の中、イエスマンじゃだめだ!だから俺はノーしか言わない!
それでもダメなら俺は一体何と言えばいいんだ!!」
となる人もいるのかもしれない。その答えは、こうだ。
まあさっくり言えば
「この点はイエスだがこの点はノー。複数合わせると総合的にはイエス。」
というのがベストだろう。
選択肢が出てきてその中から1つしか選べないと言うのはあくまで機械的。
実際の世界なら、全部選んでもいいのだから。
例えば
「これをやってくれ」と言われて(はい/いいえ)だけではなく
(はい→やることを詳細設定する)でいい。
モンブランと栗ようかんのどっちを食べたいと言われた時に
「どっちもいらない」もあれば「両方食べたい」もある。
これがさっくり言えば「選択肢全てにON/OFFをつける」ということだと思っている。結局ON/OFFを32項目に付けるだけで、全部の選択肢が43億。あらゆるものに対応可能と言っていいだろう。
これだけで結構世界は変わる。ちょっと勉強すればこの選択肢は簡単に増える。
外部の知識を取り入れる、それは全て「勉強」だ。