「いきなりひどいことをまあ。」
異論は数多あるのは重々承知。
「とはいえ教育機関だろ?知識を司るなら青マナ以外ないんじゃないのか?」
だと思うだろ。それは義務教育下の学校が正しく学問を教えていればそうなる。でも
教えているものが違うように
思えて仕方ない。
というのも、国民の三大義務の中でも労働の義務と義務教育が全然違うだろ?
この乖離の正体を見つけたような気がするんだよ。
過去に5色のマナでものを見たことがあるけど、それを小学校にも当てはめてみようと思う。
赤マナ:魅力を持つことへの否定
とりあえず、義務教育下の学校教育って魅力がないだろ。
「いきなりひどいことをまた。」
これだけ魅力を無くすのもひとえに
先生より魅力があるものが
存在してはいけないんだよ。
そんなものが出来たら先生に従わなくなってしまうから。
「…学問に惚れるならそれは学術機関の誉れじゃないのか。」
違う。先生自身に惚れないとダメ。だから
- 学習内容からも魅力を排除する
- 生徒の持ち物の中で、面白いものを没収する(マンガやゲームなど)
- 生徒自身に魅力があれば、その外見をダサくする
と、全ての魅力を先生より下げることに重きを置いている。
まあそんなことを考えている時点で
元々魅力が地の底にいるような
ものなんだけど。
だからむしろここが「生徒が生徒に惚れる=生徒同士が恋愛をすることへの邪悪認定」に繋がってる。
それに高校の先生が校門前に立って女子生徒にセクハラというか下着とか髪型とか指定するだろ?
先生も頭悪くて、魅力を全て「性的魅力」だとしか認識できてない節がある。
で、個人的に次が労働と教育の最たる違いだと思っているんだが
緑マナ:利益を得ることの否定
一番の違いはここだと思っている。というのも
学術組織は利益で動いてはならない
という言葉を
学術組織自身が言っているんだよ。
つまりこの言葉の対象になるのが「学術機関に属する全ての人間」になる。
先生の低賃金、生徒がお金を持つことの禁止、母親が得るはずだったお金をベルマークとして巻き上げること。
これら全部が絡んでくる。だから義務教育で税金の支払いの話が出るわけはない。
さらにここで父親が登場しないのも、父親は「法治国家=貨幣社会=利益を得ることを善とする世界→邪悪な世界」にいるから
邪悪な世界に存在するものを世界に踏み込ませてはいけないという思考がある。
根本その1として
労働の義務 | 義務教育 |
利益を得ることが「善」 | 利益を得ることが「悪」 |
というのがあると思っている。だからこそブラック会社が生まれる。
「功績に応じた利益を頂きたい」という言葉に対して
「なんであなたは利益を得ようと思っているんですか?」
と言うのが義務教育の思考そのままで労働に上がってきたものの言い分であろう。
だからねえ…緑マナは増えれば加算や乗算、数列的上昇って志向があるんだけどこの辺がないから
いきなり∞しか求めなくなるってのもあるんだよね。5000兆円ほしいとか…
白マナ:法律(の内容)への否定
そしてもうひとつの違いはここ。凄まじいことを言うと義務教育は
法律の外にいると思っている。
というのも義務教育は日本国憲法に記載された
文字の形や文字の並びが
法律だと思っている
と認識した。だから文字を綺麗に書くこと、一言一句順番を間違えずに書くこと、
そしてその日本語を間違えずに読むことが日本語に帰依すること、
ひいては日本語を教える教師自身に帰依することであるのだ。
ここでこんな無茶なことを書いているが…
根本その2は
労働の義務 | 義務教育 |
日本国憲法に記載された 文章の内容が法律 | 日本国憲法に記載された 文字の形や文字の並びが法律 |
ということになる。憲法改正が悪だというのは内容が云々ではなく
「人間如きが神の遺伝子配列を直接操作するとは不遜はなはだしい」
となるのだ。
さらに学校、義務教育への所属期間が社会的信頼に繋がるが、
それが業務遂行能力とつながりにくいのもおそらくこのせいであろう。
青マナ:学問への否定
それこそ学問というか日本語の文字が
会話言語(コミュニケーション)の構成要素
である事を理解できていないのであろう。さらに日本語というより
日文字原理主義
になっている節が見られる。つまり国語こそが唯一にして最高の法だと履き違えている。
それゆえにひらがな、カタカナ、漢字の読みと書きだけが唯一である。
だからこそ超算数が生まれる。
アラビア数字は日本の文字ではない。さらに日本語の法でもない。
そんなアラビア数字およびそれに関連する文字を日本語で読ませる科目が
小学校にはびこっている(1900年代初初頭時点で生まれていた)。
つまり「読み、書き、ソロバン」のソロバンをソロバンを弾くところまでしかソロバンだと認めず
ソロバンではじき出した値を書く時点で「それは読み書きである」と接収したのが超算数である。
というより全地球で通じる法則の理解とは反しているのだ。
さらに小学校に英語とかプログラミングとかを取り入れようとしたのも
アルファベットを読み書きに接収しようとしたからであろう。
タイピングが使えるようになると
鉛筆で文字を書く
という「日本語を書く」という事に反する事にも繋がるだろうから…
黒マナ:神の如く対話をしている
「…なんの神だ。冒涜もはなはだしい。」
自然災害由来の
祟り神の如く対話してるのよ。
「だいたいなんで神なんだよ。」
国民の三大義務って言うじゃない。国が定めたからこそそれぞれが自信を神格化してるところはある。
しかも神だから目下のものに「崇めるか死か」を選ばせることが出来る。
しかも日本の神って1300年代前は人間じゃなかったからね。自然由来の神が多かったけど
その中でも自然災害が神になってることが多くて、それらの神様って
人間じゃないから言葉通じない上に
人の命を簡単に潰せる存在なのよ。
(地震、津波、火山、竜巻…これらに人間が「止まって下さい」と言って止まるわけはない)
これらが日本の神と考えると「法の上に有り」「人に殺されず」「簡単に人を殺せるモノ」が神になる。
しかもね、黒マナのコミュニケーションって「絶対服従」で、義務教育は「日本語の文字」を絶対服従のリソースにする。これが最大の問題というか
憲法に従うこと
ではなく
憲法に書かれている文字を教える
我々に従え
と言っているから問題なのよ。だから先生の言葉は全て法になる。これがマナー講師の根源でもある。
こういうこともあるから義務教育下の学校の教室単位で独立国家が出来てると思っている。
義務教育下にいける最大の罪は「テストに間違えること」。
訴訟とは「先生にいいつけること」。
裁判とは「ホームルームで悪と認定して謝罪させること」。
そして先生とは司法、立法、行政の中核であり、秩序そのものである。
法治国家における法と秩序の認識が歪んでいる。
これも全ては我らが三神の一柱が歪んでいるからこそ成せる御業である。
「どこぞのゲームみたいに言うな。」
あとはねえ…
黒マナ:私のためにお金を捧げることが神聖
緑マナで「利益を得ることを悪」としたじゃない。で何を善としたかというと
あなたの利益を私に捧げること
を神聖な行為としたんだわ。
だからお母さんは労働せずに本来得るはずのベルマークを学校に捧げ
生徒は自分の名誉や新聞配達で得たお金や日本一の名誉も学校に捧げることになる。
6歳から15歳までの子供を一人残らず自分のものにして
一つ残らず利益をもらってるんだから。
「せめて生きるための智恵をつけさせてほしいよな。それこそ勉強より勉学だよ。」