↓元記事
https://ameblo.jp/kahn-espana-sieger/entry-12679605324.html
やっぱり多数決はクソ。
「どうしたいきなり。」
いや多数決の一位以外がなんでここまで容赦なく潰されるんだろうと思って。
「それの採決を取る人に問題ねえかそれ。」
そう思うんだy…あれ、これ表決を取られる人にも原因ねえか?
「なんで?」
結局、『回答とは何か』という所に全てがかかっている気がするんだ。
それを踏まえると原因がおそらく…
採決を取る側(主に先生):回答は常に一つである
採決を取られる側(主に生徒):戦争状態の心のせいで回答への認識を誤っている
多分これがあると思ってる。
「ほう?」
まず回答は一つしかないという事について。
①:回答は唯一
これ、回答が2つ以上存在したら、出題側が相手を無限に不正解に出来るからって配慮なんじゃないかと邪推した。
「…回答者はAかBでしか回答できないのに、出題者がいつでも答えを変えられるから、か?」
上にいればそれが可能ってのはあるよ。だからこそ全ては1:1でしか繋がらない。
「なんでまた正解にたどり着かせないようにするわけさ。」
出題者が回答者に勝ち続けるためだろうね。正解されたら負けだと思ってる出題者もいるし。
ある意味ソレを防ぐために回答を1通りにしたんじゃないか、とも思ってる。
「で、それが真逆になってたった1種類しか答えが認められなくなった、と。
でも思ったんだが本当に回答が複数ある場合はどうするんだ?順番までそのままとかか?」
そうなるよ。だから順番を変えずに一言一句、文字の一挙手一投足に至るまで
間違いがなければ正解にはならない。
「…数学的な集合の思考とか包含関係ガン無視になるな。」
むしろ義務教育だと数学の、特に集合の考えは禁忌そのものになるよ。
※この考え方で算数の授業をしているから超算数なんて思想が生まれるわけで
それこそ「あなたは大切な人間です」「私も大切な人間です」と二言つなげただけで頭がバグるのが義務教育だからね。
「あー、回答が一つしかない、つまりイコールだけでしか繋げられないと私=大切な人=あなたと脳内で融合してしまうってことか。」
そんな感じ。で、次がおそらく最たる問題で、「回答は絶対」であることなんだよ。
「ほう?」
②:回答は絶対
なんというか、回答と言うのが
-質問、要求などに対する返事(広辞苑第6版から引用)
という意味なんだけど、これが頭の中が戦争状態だと
-解らないものを『絶対倒せるもの』
というように履き違えてると思うんだわ。
広辞苑 第七版(普通版)Amazon(アマゾン)5,525〜20,790円
「…なんでまた。」
これねぇ、ゲームしか頭にない人が「最強に対する『回答』」っていう事があるのよ。
(それこそカードゲーマーとかその言い回し多いのよ)
だから問題を「倒すもの」としか認識できていないと
・回答を出せないと自分がいつまでも倒され続ける
・回答を出せたら相手を自由に倒すことが出来る
という、問題が怪獣か何かとしか思えないようになってるのよ。
言い換えると
回答が問題に対して
『絶対に勝利できる剣』
になる。
「回答はつまり『解らないものが解った時の副産物』なんだよな。理解した喜びを得る境涯は六道の外の話だ。」
お前そんなこと解るんか。だから学校の授業も
{これが解らないと永遠にお前が倒され続けるぞー痛いぞー怖いぞー死んじゃうぞー}
という恐怖で授業をしている可能性があって。
「だから早く答えを知りたい、に繋がるのか。」
実際に問題を間違えたら学校と両親という子供が絶対に逃げられない二大巨頭から無限に責め上げ続けられるという実害が来るからそりゃ怖いさ。
そしてこの2つが重なると、多数決が最悪のものになる。
③:回答は最多
それこそ①、②が重なると多数決は人間をいくらでも否定できる存在になる。
多数決は「最も多い意見を代表にする」ものだが…
回答は唯一=最多である唯一の回答以外『存在しない』
+
回答は絶対=回答は全てに勝てる最強の剣
=
『最多の意見は、数で下回った意見の全てを蹂躙できる武器』
というヤバイ思考が生まれてしまう。
「じゃあ『おまえの意見の賛同者は31人中13人…所詮貴様は多数決の敗北者よ』って言われてその発言者ごと意見を蹂躙してもよいって考えてるのか。」
それこそ多数決をとっている人員側がそう思ってたならそうなるね。
これ、普段の生活でも結構あると思うのよ。
怖いものがたくさんあるのに、一番怖いもの以外
『怖いものであると認められない』
みたいに。
「その逆に一番好きなもの以外好きだと認めてもらえなかったりとか。」
仕事と私どっちが大事って言っても両輪回さないといけないことに
回答が一つしかない人には
理解されなかったり。
で、思考が戦争状態だとこれで加害者だけじゃなく被害者も誤った道を学ぶことになる。
加害者側
・数が多ければ何でも倒せる
・1は0に勝てる、0は失点した者に勝てる
・自分が倒せるものには(人道を無視して)何をしてもいい
被害者側
・負けたら自分の意見もろとも人権から何から蹂躙される
・自分が意見を言うためには「最多のもの」を持ち出さないといけない
…とくにこの青字にした部分が重要。被害者が学ぶのはココ。それこそ「暴力は全てを解決する」という思考の根幹でもある。
自分が常に暴力で解決され続けてきたから。
さらにこれが「自分一人で意見を言えない」理由にもなってると思うわけ。
そのために社会的問題を絡めないと自分の意見を言えなかったりするんだろうさ。
(あげくにそう考える人はネットを1人vs80億人の戦いだと認識してる節もある)
「なんか学校にいることが悪く思えてくるが。」
ちなみに学校なら30人前後の多数決かもしれない。
だがもっと身近にもっと小規模な多数決が存在している。
「なんかあったっけ?」
父母私の閉鎖空間内での多数決、つまり
家庭内だ。
さらにこの中には法律も通さないのが基本だ。
それこそこの3人の多数決で…
子供が負け続けたら?
母親が負け続けたら?
父親が負け続けたら?
負け続けた人間はその空間内で生命以外の全てを蹂躙されてもおかしくない。生命以外って言ったのは、暴力への認識の違いよ。
それこそ日本で暴力は
自分の意志でand相手の人間のand体にand確認可能な外部からand物理的に損壊する
認識があるから暴力のハードルは極めて高い。でも受ける側は
肉体的or精神的or金銭的or社会的にダメージを受けること
が暴力の認識になる。andは全部成立すること、orはどれか一つが成立すること。
この位違うもの。
「結局多数決の勝利が暴力許可証になってるから悪いって事だな。」
究極的には脳内が暴力(=戦争)な思考が一番悪いってことだな。
「戦争してたら人にはなれない、ってことでいいな。」
だから結局多数決に殺されてきた人ってどんな言動を取るか列挙しようか?
- 家族の中で人間である事を全否定する/される
- 家族の財産を自由に奪いつくす/処分する
- テレビで今見た何かいいもの/正しいものを持ち出して存在を否定する
- 自分の意見を言うために政治的最多意見(BLM、フェミニズム、ポリコレなど)を絡める
- 相手の失点があれば烈火のごとく責め上げる(0>-1)
- 自分が出来ることで相手が出来ないことを責め上げる(1>0)
- よそもの(何かが違えばその時点でよそもの)を敵として排除する(∞>1)
- 人間とは全てのサル以下の存在に勝てる頂点の存在(∞>1)
このあたりの思考を持ってる人って、ある意味全員多数決に人権を蹂躙されてきた人だと思ってるのよ。