自分が尊敬していた人の言葉で、こういうものがある。
「なんで人生の2ターン目に”フェアリー・ライフ”を使わないんですか」
と。
私はその質問に「2マナ溜まる前に親にマナ壊されてきた」と答えた。
だがネットに漂う間に、現実に出られないネットユーザーだとおそらくこの回答のほうがしっくり来そうな答えが見つかってしまった。それは
「現実世界に出られない人間に
緑2マナの防御色の呪文を使えと
言うほうが酷」
であると。というのもネットから出られない人をカードで表すとこうなると思う。
①暴力による解決者 クリーチャー/ならず者 緑 1/1
防御不能(このクリーチャーはブロックに参加できない)
攻撃強制(このクリーチャーは可能な限りアタックしなければいけない)
②竹槍持ちの巡網者 クリーチャー/ならず者 黒 1/0
攻撃強制
③刺すか否かの二択絵師 クリーチャー/不死・吟遊詩人 黒 0/0
防御不能
多分これしかいないんじゃないかと思ってて。このレベルだと緑2マナもないのよ。
というかタフネスが0だと戦場に出られないんだわ(場に出た時点で墓地に行く)。
…で、3番目?これ「攻めの反対が受けになってる人」なのよホントは。
というよりなんでこのマナしか無いかって言うとこれらの人たちには
白、青、赤、無色マナがないのよ。
それらを語っていこう。
①白マナがない
親元と義務教育から離れられて無いと、意識が法治国家からかけ離れたものになるって
割と何度も言っている。
やはりこの2つから離れる時間を人生で作らないと法治国家からの遮蔽率が100%を下回らないのだ。
②青マナがない
そして義務教育下の教育はあくまで勉強、学習ではない点は大きいだろう。
とくに国語が顕著。というのも国語自体が
「憲法から生まれた日本語教育科目」
だからだ。だからこそ意味ではなく文字の並びや形を教えることに命をかける。
③赤マナがない
義務教育だと教育機関より魅力を持つものを徹底排除する節がある。
だから教えるものにも生徒からも魅力を無くすわけで。
で、魅力をもって社会に出た場合は芸能/芸術の世界に行くことになる。
法とは真逆の世界だが一攫千金のチャンスはそこにあるのだ。
ちなみになんで学校が魅力ある人間を減らすかって?
将軍の側室が配下の兵に取られたら将軍キレないか?
※学校の先生から見て自分のものである女子生徒が男子生徒に奪われると思っている
そして最後が
④無色マナ/隣接色に変化するマナがない
とりあえず感情がある限り、人間のマナはこの5色に分かれると思っていて
無色マナが1つ存在すると、自分のマナの色の隣接区域のことがわかるようになるのだ。
たとえば黒(マナ総量1)だけなら黒しかわからないけど、1黒(マナ総量2)になると黒に隣接した赤や青がわかるようになるのだ。
※青マナがわかると他人の意思を理解し判断できるようにはなる
そして属性の反対の色の理解には2+色のマナ総量3がどうしても必要になる。
黒から青に触れるには少なくとも1黒(マナ総量2)、
緑から青に触れるには少なくとも2緑(マナ総量3)は必要なのだ。
そしてそれだけのマナがある人が初めて
「なんで人生の2ターン目にフェアリー・ライフを使わないんですか」
と言う言葉で盲を開けるようになる。
だからこそ、ネットの水底にいる人は法治国家にも芸能の世界にも出られない色
→緑か黒しか存在しないという結論になる。
そしてこの2つの色、カードゲームには割りとあふれているのだ。
問答無用という事である。
なぜかって?
緑:自分のカードは無効にされない
黒:相手は自分のカードを無効に出来ない
しかも絶対に無効化できないタイミングが各種カードゲームに備わっているのよね。
個人的にはこれがヤバイと思ってて。
これのおかげで問答無用の1ターンキルが大好物になる。
正直勝敗を競う対人ゲームは組み手だという認識がいると思っている。
ソレをもてないとカードゲームで一般人襲うことに忌避感がなくなって
凶器準備集合罪になるから気をつけないとね。