自分が主にたしなむゲームとしては、音楽ゲームとカードゲームが存在している。
実際自分はかなりカードゲームは弱いのだが、その理由として
「相手やギャラリーを沸かせられなければ負け」
という意識がある。だから見たこともないカードを使って戦うことも数多い。
…まあ、そんなカード使ってるから負けるといわれればそれまでだが。
というのも自分はカードゲームを「組み手や他流試合」だと位置づけて楽しんでいる。
だかとあるカードゲームの上位(全国1000位以内)プレイヤーは
割とカードゲームを「襲撃や殴り込み」だと認識してプレイしている人も多い。
厳密にそういうわけではなく、これは完全な自分の体感での話だが。
(ちょっとだけネット上でやり取りがあったが、自分にはその意思が見えたように思えた)
こちらのブログをご覧いただきたい。自分はこの意見に完全に賛同している。
(ブログを書いた当人には後ほど無断使用の謝罪を入れるつもりである)
完全に「勝つためだけの、相手を叩きのめすだけのカードゲーム」を根底から全否定している。
自分は正直「組み手や他流試合」だと思っているから、空手対合気道(こちらが分が悪すぎる)でも文句をいうつもりは無い。
だがこちらが空手を使うのに、相手が自動小銃をなんの躊躇もなく使うということもまた事実なのだ。
主義主張もあるが、自分はそれでも「組み手」をすることを続けようとは思っている。
音楽ゲームのことについて語っていく。これもある意味では「相手を倒す」ことだけを目的にしている人もいる。
実際楽曲としてすばらしい曲もあるが、基本的に目が向けられる曲というと
・そのゲーム内の最高難易度の曲
・おかしさの振り切ったコミックソング
これら2タイプが多い印象はある。実際最高難易度にしか目が向かない人にとっては
たとえクラシックのピアノの楽曲にもショパンやベートーベン、ラフマニノフのは目もくれず
ピアノ楽曲最高クラスの難易度のパガニーニにしか興味はないのであろう。
(パガニーニの楽曲をモチーフにしたRemix曲が「DIABRO」というのはある意味そのものずばりなのだろう…)
コミックソングもたまにはあっても良いが、
それでも「プレイヤーにクリアされたら負け」という意思が感じられる曲はどうしても好きになれない。
曲を楽しむだけならイージーモードでもいいとは思っている。
(とある楽曲で
『イージーモードが許されるのは小学生までだよね』
というフレーズがあるらしいが
個人的に音楽がそれを言うのは許せないと思っている。曲のタイトルは知らない。)
無論最高難易度が高いのは「裾野を広げる」と「頂点を高くする」の両立の際に必須ではあるが
それでもゲームに関しては、こと音楽については曲を楽しむことを重点におくべきではないか、なんて思っている。
それこそ他人に音楽ゲームの曲のコンシェルジュができると言うのは、ある意味一つの楽しみ方の究極系なんじゃないかとも。これならやったことは無いができる自信はある。
そしてタイトルの「相手には命を意志があるんだよ。」に繋がるわけだ。
いや、当然だ、と思えるならそれでいい。ここまでの文章は
「相手の意思など知らない」奴らが
ゲームしかやらないとこうなる、という点だったりする。
正直カードゲームでもそうだ。対人ゲームは全てそうだ。
コンピューターを介しているものもあるとはいえ
相手をしているのは人間。その人間に意思はある。命もある。
音楽でもただ難しい曲だけをやって「最強に勝てる」だけが楽しいのなら
音楽ゲームをやめてもらいたいと言うのが、実は個人的な感想である。
正直なところ、自分が音楽ゲームで得たものとして
「好きなものを他人と共有できるのが楽しい」
「人に見せるレベルの芸術の美しさ」
「人の成功の歓喜の声の心地よさ」
などに直接触れて知っている。
だが相手に命や意思がないものだと思っている人にとっては
どんなものでも一方的にひねり潰すだけが楽しいと思っている人が多いだろう。
それはいじめの精神構造と全く同じらしい。
ゲームを単純に暴力のためだけに使うなら、自分はその人とは全く係わり合いになりたくない。
…ちなみに人の心を、コミュニケーションを否定した人ほど
AV、エロゲ、エロ同人にはまりやすいという調査結果があると聞いたことがある。
女性を「意思のあるもの」とみなしてないからできることかもしれない。
ゲームが「人間を相手にする」ものだと思ったら、
人と楽しむものだと思ったら、
ゲームを自分の力に出来るのではないか。
勝手にそう思っている。