算数にはグラフで「象限」というものがある。
それはこういう形だ。下の図を見て欲しい。
YesかNoかだけではなくこの表のどこの部分に当てはまるか、というものを持つことが出来るのだ。
正直これがあるだけでも認識が広まるのだ。
この図ならx軸の→が+、←が‐。y軸の↑が+、↓が-となる。
で、なんでこれがいいかと言うと、これだけで「2択が4択になるから」なのだ。
単純に言おう。「モンブランと栗ようかんを食べる」時に
- モンブランを食べる
- 栗ようかんを食べる
だけではなく
- どっちも食べる
- どっちもいらない
の選択肢が追加できるのである。
まあ、ざっくりここで語っているのだが。
そしてここから本題。上で語ったテーマではx軸を法、y軸を命で見たが今回は
x軸を罪、y軸を罰、そして+を「ある」として認識すると
日本人のいる地獄がわかるって寸法だ。
で、それぞれ解説すると、こうだ。
第1象限(罪:あり、罰:あり)=法治国家
基本、人が住む領域はここになる。法を犯せば罰せられる。
というより「人間の体」は間違いなくこの領域に存在する。
だがごくみじかにこの領域を離れた場所がある。それは
第2象限(罪:なし、罰:あり)=家庭内及び義務教育下
である。子供が逃げられず、ソレでいて何が悪いのかも解らず
理不尽に罰を与えられるのがこの領域。
しかも逃げたところで一時しのぎにしかならず、その逃げたことが罰をさらに加速させるのがまた地獄だ。
親が法の隔壁になればその壁の中で躾と称した拷問が週に一度ペースで行われ
説教と折檻を履き違えた教育がその「壁の中」で行われることになる。
学校は学校で多数派原理主義によって少数派をひき潰し
これで失敗も敗北もただただ恐怖でしかない、心をひき潰された子供が生まれることになる。
目の前の大人から地獄しか与えられてこなかった子供、それが成長して働くことになるのだが
第3象限がそれを救うのである。
第3象限(罪:なし、罰:なし)=2ちゃんねる及びネット上
この領域に「やってはいけないことが無い」のだ。それこそファラリス神のように。
そしてネットの開祖に近しい存在である2chに法は存在しない。なぜなら…
「2chに法を作らないんですか?」
という質問に対して
「地球全土に張り巡らされたネットワークを一国の法で縛ろうなんて絵に描いた餅」
だと製作者本人が答えているから間違いない。つまり
第2象限に苦しめられてきた日本人は
第3象限に救われたからこその地獄だ。
無法に救われてきたからこそ、根幹のルールが無法地帯のものになる。
法治国家でも無法のルールで生きるようになる。
体は法の下にいても、常に心は戦争を求める。
シャバにいるのにムショと同じ法度で生きることになる。
これが今現在SNSに住む人との精神的感覚の違いにも繋がっている。
第1象限の精神構造か、第3象限か、という違いだ。
そしてそこと隣接しているのに人が少ないのが第4象限である。
第4象限(罪:あり、罰:なし)=安心して失敗できる場所
これが一番日本人に必要なのだ。というか本来義務教育はこの領域を作らないといけないのだ。
ここにいる人間は「失敗しても罰を受けない」という状態から質問が簡単に出来る…つまり
成長しやすい人間に育つのだ。
だから親や学校がこういう「失敗をそこまで激しく責め上げない」環境を作る必要があるのだ。
そういう世界で生きられたら、どれだけ幸せだっただろうか。